*--バルセロナ建築漫遊記--*

バルセロナからの気ままな発信です。


□風の色 海の色 バルセロナ色


ピレネー建築3  2005/07/25(月)
ピレネー建築2  2005/07/25(月)
ピレネー建築1  2005/07/25(月)
モンセラット  2005/07/24(日)
セルトをアップしました!  2005/06/28(火)
今日6月25日はガウディの誕生日。  2005/06/26(日)
FAD賞の授賞式に行って来ました。  2005/06/23(木)
ジュジョールのCAN NEGRE アップしました!  2005/06/21(火)


ピレネー建築3
11世紀ごろからフランスからのカトリック勢力が強まり、ピレネーを超えイベリア半島のイスラム勢力を追い出し始めた。それに伴い、ピレネーの村は教会を中心とした防衛機能を備えた村造りを行った。当時、ローマ時代の高度な建築技術は忘れられており、近くで取れる野石をモルタルの代わりに川砂と漆喰を混ぜて分厚い壁、かまぼこ型半円ボールトに積み上げるという素朴なものであった。窓は、壁に穿たれた細いスリット状のものであった。(ピレネー建築2参照)内部は、漆喰壁に極彩色の宗教フレスコで埋め尽くされており、タウィのものが有名で、現在はバルセロナのカタルーニャ美術館にフレスコ画ごとはがし保存されている。祭壇天上部は半円ボールトで、スリット状の窓から入って来た一条の光は、フレスコ画を浮かび上がらせ、人々にカトリックの宗教的イメージを高めたに違いない。この時期の建築様式をロマネスクと呼ぶが、スペインでは、ロマニコという。それ以降スペインは、カトリック王国への道を歩むことになる。(写真は、サン ジョアン寺院。窓を見るとスペインゴシック15世紀に改築されたことがわかる。)
Date: 2005/07/25(月) No.7


ピレネー建築2
ピレネーの山の村々には、今でもロマネスクのかわいらしい教会がある。その中でも、ボイ、タウィ教会はユネスコの世界の遺産に登録されている。その村々をめぐり、ロマネスク教会を訪ね歩くのが夏のバカンスの楽しみになっている。建築的な質、規模から言うと素朴な山の建物で、ゴシック建築のカテドラルのような荘厳さはない。まあ、どうって事はないと言ってしまえばそれまでである。ただ、1000年近くの年を経て、建築がピレネーの山岳的な風景の一部となり同化していることで美しいと感じ、また訪ねてしまうのである。芸術作品を見るときと同じような、心地にしてくれる。学生時代ブルーノ・タウトのアルプス建築のオリジナルの本を手にとって感動したときの思いを、ピレネー建築に合わせ考えている自分がいるのがわかる。
Date: 2005/07/25(月) No.6


ピレネー建築1
今年は早めにバカンスを取り、ファミリーで13年来毎年行っているピレネーの山のホテルから帰ってきたところです。当初はバルセロナから車で半日がかりで、フランス国境に近い3千m級の山が聳え立つ秘境という感じでしたが、今は道も良くなり3時間ほどで着いてしまうので避暑客でにぎわうリゾート地になっています。丁度、平地では42度を記録したときに、私たちは高度2,400m付近にある湖の雪渓まで3匹の犬を連れ、ハイキングに行っていました。
山から下りて来ると、ホテルのオーナーが新聞を持ってきて隣の谷に、Isozakiが総工費2千万ユーロ(約28億円)豪華スパホテルを建設ことになったぞと教えてくれました。日本人建築家、74歳と写真入で大きく扱われていました。これからは、ピレネーの山のホテルでのんびりとバカンス過ごすことも難しくなりそうです。ただこの美しいピレネーの風景を壊さない建築を作ってほしいと切に願います。
Date: 2005/07/25(月) No.5


モンセラット
モンセラットへ久しぶりに行ってきた。黒いマリア様のいるカタルーニャの聖地で、バルセロナからの半日観光コースになっている。モンセラットは日本語に翻訳するとノコギリ山で、雨風で長い間に浸食された礫岩がつんつんと突き出ているのでそのような名前が付けられた。この山の中腹に教会が張り付いている。この奇岩と一体化した建物は一見の価値がある。その黒いマリヤ様を拝むために一時間ほど列に並んだ。そのマリア像は、12,13世紀ロマネスク期に作られたもので素朴な感じがする。当然黒いマリア様なのでひざの上にいる子供のキリストも黒い子だ。しかし、どう見てもアフリカの黒人の骨格ではない。長い間洞窟の中に祭られていたのでそのろうそくのすすで黒くなったという説が頷ける。
ガウディは、6月13日の自分の聖人で建設の神様のサンアントニオの日には毎年参っていたという。この聖地のためにこの特異な地形を利用して壮大なプロジェクトを計画したが実現はしていない。サグラダ ファミリアの塔は、モンセラットから着想を得たとも言われている。弟子のジュジョールのモンフェリのモンセラット教会は、サグラダ ファリアのミニチュア版とも言われているが、屋根は、モンセラットの岩のようなクーポラが立っている。(ジュジョール、モンフェリモンセラット教会参照)この山が、カタルーニャの建築家たちに与えた影響は計り知れないものがある。
Date: 2005/07/24(日) No.18


セルトをアップしました!
今年は、ミロ美術館が出来て30年という記念すべき年で、この6月12日まで「セルト、半世紀にわたる建築1928−1979」展が開催されました。改めて、彼が近代建築および都市計画に残した功績の大きさを感じさせられました。バルセロナでは、コルビュジェからセルトの近代合理主義の流れが、GRUPO Rの建築家たち、ボーイガス、マルトレイ(現MBM)や、コデルク等に引き継がれモネオ、イグナシ ソラモラーレス等へと繋がっているように思えます。日本でもコルビュジェから前川國男―丹下健三―磯崎新等というような系図が見えてきました。双方とも第3世代以降ともなると、近代合理主義の精神がかなり薄れてきて形が先行しているようにも見えます。
http://u1architects.com/catranarchitects/sert/index.htm
Date: 2005/06/28(火) No.4


今日6月25日はガウディの誕生日。
6月25日はガウディの誕生日。17年前、「歴史的建造物の保存と再生」というテーマで、カタルーニャポリテクニカ大学(UPC)のタラゴ教授の下で学んでいた。毎年この記念すべき日がコースの最終日で、クラス仲間達とティビダボの山のレストランへパエリャを食べに行って、純粋に建築について語り合った、楽しかった日々を思い出す。
昨年、ガウディの生まれたタラゴナ県にあるレウスに行ってきた。その当時、繊維とぶどう酒で街は繁栄し、モンタネール、ジュジュール等のモデルニスモの豪華な建物が街中のいたるところに残されている。3年前、ガウディ生誕150年のイベントが盛大に行われ、ガウディの生家前の通りにも、ごらんのような意味不明なオブジェ(写真参照)が作られた。今やガウディは、スペインの観光産業にとってなくてはならない重要な存在、という事なのだろう。
Date: 2005/06/26(日) No.3


FAD賞の授賞式に行って来ました。
21日夜、マイヤーのコンテンポラリ−美術館の前の広場でFAD賞の授賞式が、バルセロナ市長も出席し盛大に行われました。FAD賞とは、優れた建築、ランドスケープ、インテリアデザインに対して毎年贈られる賞です。今年で4回目のエントリーでしたが、ポルトガルの建築家Souto de MouraのBraga市営スタジアムが選ばれました。来年こそはという思いで、またがんばろうと思います。
ジュジョールと共にガウディの重要な弟子の一人、ルビオをアップしました。バロック好みのジュジョールに対し、建築構造の合理性を考えたゴシック好みのルビオ。この対照的な二人が同時期に、カサミラ、グエル公園等の重要な作品をガウディの下でコラボしていたのは興味深いことです。

http://u1architects.com/catranarchitects/rubio/index.htm
Date: 2005/06/23(木) No.2


ジュジョールのCAN NEGRE アップしました!
この半年間Arquitectoの設計、監理等の実務のほかに市役所、クライアントの対応に追われ忙しくしていましたが、ようやく一段落し、これからより充実した建築デザインのホームページとして行きたいと思いますので、今後ともよろしくお願いします。
先日、カタルーニャ建築家協会のジョブレガット支部へ、トリエンナーレ賞の応募に行ってきました。そのついでに写真を撮ってきたジュジョールのCAN NEGREをアップしましたので見てください。18年前見に行ったときは、廃屋で外からしか見れなかったのですが、現在は建築家協会の支部に改修され、中に入ったらビックリ! ジュジョールのマドンナブルーのペンティング、派手な装飾のバロック好みに圧倒されました。

http://u1architects.com/catranarchitects/cannegre/index.htm
Date: 2005/06/21(火) No.1


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