*--バルセロナ建築漫遊記--*

バルセロナからの気ままな発信です。


□風の色 海の色 バルセロナ色


HIROSHIMA  2006/07/25(火)
リセウ劇場でパコ デ ルシアのコンサート  2006/07/24(月)
ラサール大学建築イベント「日本建築2000年の歴史」2  2006/07/23(日)
ラサール大学建築イベント「日本建築2000年の歴史」  2006/07/22(土)
伊東豊雄 バルセロナメッセ会場(FIRA BCN)増築工事。  2006/03/06(月)
カラトラバ アップしました!  2005/12/11(日)
スペイン建築の現在 伊東豊雄アップしました!  2005/12/11(日)
ミース オープンしました!  2005/10/02(日)


HIROSHIMA
AGOSTO1945HIROSHIMA
Date: 2006/07/25(火) No.32


リセウ劇場でパコ デ ルシアのコンサート
昨夜はバルセロナが世界に誇るリセウオペラ劇場へ、フラメンコギターの巨匠、パコ デ ルシアのコンサートに行って来た。
パリのオペラ座、ミラノのスカラ座同様、19世紀中頃に造られたネオクラッシック様式で、大理石と白と金の豪華な装飾できらびやかに造られてある。ここは、世界的ソプラノ歌手モンセラット カバリェのホームシアターとしても有名である。しかし、オリンピック終了後の93年1月に火事で焼け落ちてしまった。火災直後訪れた時,
舞台のレンガ積みの壁の一部だけが残り、馬蹄形の観客席の部分がポッカリと空まで抜け、灰塵と化した劇場の姿が今でも目に焼きついている。
その後、今は亡きバルセロナを代表する建築家イグナシ ソラモラーレス氏によって、焼け残ったファサードと白大理石の玄関階段ホールは修復し、焼け落ちた舞台と観客席は前と同じように豪華なイメージで復元され、近代的な機能を併せ持ったモダンな建築に見事に再生された。昨夜はこの空間に鳴り響いたパコの力強くて官能的なギターの響きと音色に老若男女のバルセロナッ子たちは酔いしれ、一体となった。(私も含め。)
「文化としての建築」は市民に愛され、人生を共に過す。たとえ、焼け落ちても、市民の思いでまたそれまで以上のものを作り上げることが出来るのだということを、私はバルセロナで学んだ。この9月でバルセロナに住んで20年の節目を迎えるが、この市民の文化力こそがこの街をますます魅力的にしているように思う。
Date: 2006/07/24(月) No.31


ラサール大学建築イベント「日本建築2000年の歴史」2
今回の展示では、6年前のバルセロナ民族博物館の企画展示、日本食文化展「ITADAKIMASU」で私が設計、施工した茶室「波瑠庵」を今回の建築イベントのシンボルとして大学の玄関ホールに再建築した。茶室「波瑠庵」は展覧会終了後は解体され、民博のスペイン村の倉庫に埃を被って眠っていた。2日で組み立てられ出現した茶室に、通りがかった建築学部の学生たちは「Que bonita!!」(すばらしい! かわいい!)と大変な反響で建築パフォーマンスとしても大成功であった。オープニングセレモニーでは、バルセロナでお茶とお花を教えている木藤女史による点前が行われ、バルセロナ総領事と建築学部のセクレタリーが、狭いにじり口から入り、客としてお茶を味わった。「文化としての建築」をスペイン人だけでなく、日本人にも再発見してもらうことが出来たと思う。
Date: 2006/07/23(日) No.30


ラサール大学建築イベント「日本建築2000年の歴史」
バルセロナは毎日30度を超える暑い日が続いている。先月は、日本に一時帰国していて何かとあわただしい日々を送っていたが、ヴァカンスも近づいてきて、ようやく落ち着いてものを書く時間がでてきた。
この4月には、ラサール大学の建築・技術学部で「日本建築2000年」をテーマにした建築イベントで、展覧会と講演会を行った。今まで長い間、自分の中で暖めていた「文化遺産としての建築」をこの機会に発表することが出来たと思う。サブテーマが「出雲大社から伊東豊雄の作品まで」で、近代日本建築の流れを中心に、伊東忠太から堀口、谷口、村野、前川、丹下、黒川、磯崎、菊竹、篠原と10人の建築家をセレクトし、どのように伊東豊雄の作品に繋がって行ったのかを30枚のA−0パネルに纏め展示した。現在カタルーニャ州の肝いりで着々と進行している見本市会場プロジェクトの建築家、伊東豊雄さんにも最近の作品についてのレクチャーをしていただけ、大きな反響があり大成功で満足行くものとなった。
Date: 2006/07/22(土) No.29


伊東豊雄 バルセロナメッセ会場(FIRA BCN)増築工事。
現在バルセロナでは伊東氏のバルセロナメッセ会場(FIRA BCN)の増築工事が、着々と都市計画規模で進められている。
土木技師セルダによって1859年にバルセロナの拡張計画が纏めれ、2004年のFORUMに合わせ、斜めのディアゴナル大通りが碁盤目状の新市街区を縦断し東の端の地中海まで繋がった。その間、市民戦争、フランコ独裁政権など数々の都市破壊があったが、その一つの都市デザイン(URBANISMO)にこだわって、150年近くかけ完成させた。ローマに通じるもう一つの右上がりのメリディアナ大通りの交点で、新市街地のヘソに当たるところには、昨年ヌーベルのAGBARタワーが出来、新しいバルセロナのシンボルとして世界中から注目を浴びている。
そして、今、市街西側の飛行場近くのオスピタレット地区がバルセロナの新たな都市デザインを生み出している。その中でも、メッセ会場の増築工事は、ヌーベルのAGBARタワー後、バルセロナのビックプロジェクトとして市と、州を上げ肝いりで行われている。CENTRO AXISと呼ばれる会場の背骨にあたる1800mの巨大渡り廊下によってデザインされた都市計画規模の現在建設中の伊東氏の建築に、従来の建築デザインを超えた新たなものを感じた。
Date: 2006/03/06(月) No.28


カラトラバ アップしました!
バレンシアの誇る都市・建築デザイナーのカラトラバ。建築家というよりも橋梁デザインを得意とするエンジニアとして認識していたので、あまり今まで彼の作品に建築的魅力を感じなかった。特に最近完成した話題のオペラハウスは、戦士のヘルメットをイメージさせるその形態に気恥ずかしささえ覚えてしまうほどであった。
先週バレンシアに行って実際に見たら、その建築のスケールを超えたカラトラバの作品群には圧倒され、その気恥ずかしさも吹っ飛んでしまった。オペラハウス、科学博物館、公園、プロムナード、数々のカラトラバスタイルの橋、正しく「カラトラバ都市・建築デザイン博物館」と呼べるようなテーマパークであった。建築群は、それぞれモニュメント性が高く、建築構造ディーテールがしっかりしていて構造美を感じさせ、力強く、壮大なスケールで迫力あるものであった。19世紀イギリスのエンジニアのパクストンの設計したクリスタルハウスのように、もしかしたらカラトラバのこれらの作品群に「21世紀のクリスタルパレス」の称号を与えることも可能かもしれないなと思いながらバルセロナに帰ってきた。

http://www.u1architects.com/ultimas/calatrava/index.htm
Date: 2005/12/11(日) No.27


スペイン建築の現在 伊東豊雄アップしました!
先週末バルセロナから550キロ離れたアリカンテへ行く機会があり、近郊の町トーレ・ビエハという町まで足を延ばすことにした。そこには伊東豊雄氏のスペインにおける初プロジェクトが進行中なのだ。来年2月からニューヨークのMOMAで始まる[New Architecture in Spain]展に、このプロジェクトが発表されると最近の新聞に出ていたので、期待が大きかった。
プロジェクトを見る限りでは、外国人の海水浴客が訪れる風光明媚な地中海リゾート地のイメージだったが、街全体がいわゆる外国人観光客を意識した、醜悪な装飾過多のスペイン風高層リゾートマンション群だった。小さな町なのですぐ分かると思っていたが、探しあぐねた挙句尋ねた警官が、やっとその存在を知っていた。「あれかな? しかし工事ストップしているよ。」
場所を地図にマークしてもらい、さらに探索。いったい何人の人に尋ねたことか。「温泉?この町には温泉なんかないよ」既に昼食の時間はとっくに過ぎていた。本当に存在するのか…? これが最後と、干潟自然公園施設の職員に尋ねると、確かに存在するという。「もう少し行けば見えてくるよ」
更なる探索。だが探せども見当たらない。まさかと思いつつも、干潟の宅地造成地の中を突き進んだ果てに、遠く対岸に巻貝のフォルムの物体が見えた。
そこにあったものは、現場にあったプロジェクト写真の巻貝状の美しい構造美とは対照的な、バラックとでもしか言いようのない施工精度の悪い構造物だった。探索の果てに得たものは、曰く言いがたいショック。

バレンシアの建築家との共同プロジェクトと明記されていたが、遠く離れたスペインの片田舎での建設の難しさを感じた。この国においては現場管理の徹底こそが、作品の質に繋がるのだという事を、旅の果てに実感した。

http://u1architects.com/ultimas/torrevieja/index.htm
Date: 2005/12/11(日) No.26


ミース オープンしました!
近代建築の巨匠ミースのバルセロナパビリオンオープンした。
http://www.u1architects.com/catranarchitects/mies/index.htm
1929年のバルセロナ万博終了後、解体撤去され「幻の名近代建築」と伝説化していたものを、バルセロナ市とEUが共同基金を作り、20年前に再建築された。現在は、ミース財団としてヨーロッパの建築芸術文化のセンターとなっている。先週、久しぶりにミースパビリオンを訪れたが、未だに「近代建築の宝石」としての輝きを放っている。
これで、ようやくカタラン20世紀建築のベースができた。これを基にして21世紀の建築文化論に繋げて行きたいと思う。
Date: 2005/10/02(日) No.25


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