*--バルセロナ建築漫遊記--*

バルセロナからの気ままな発信です。


□風の色 海の色 バルセロナ色


法隆寺建築の美  2006/08/18(金)
日本最初の世界文化遺産 法隆寺  2006/07/31(月)
日本美再発見の旅 世界文化遺産 厳島神社  2006/07/30(日)
村野藤吾の広島平和記念聖堂  2006/07/28(金)
イサム・ノグチのIkiru生きる Tsukuru創る  2006/07/27(木)
広島平和記念公園 Hiroshima, mon amour  2006/07/26(水)
世界遺産登録から10年を迎える原爆ドーム  2006/07/26(水)
日本美再発見の旅  2006/07/25(火)


法隆寺建築の美
法隆寺建築は本当に美しいか?ギリシアのパルテノン神殿と比べどちらが美しいか?何が美しいと感じさせるのだろうか?ということを明治中期(19世紀末)に真剣に考え、博士論文として研究したのが、伊東忠太である。当時、法隆寺の建築図面もないので自ら実測し、平、立、断面図を起こすことから始めた。あまりにもその仕事が速かったので、指導教授の辰野金吾から、ちゃんと実測したか疑われるほどであったという。伊東の最終目的は、実測して図面を起こすことでなく、その図面から法隆寺の美の原理になっているプロポーションを解明することであったので、寝るのも惜しんでその図面起こしの早期完成に没頭したのだろう。その結果、中門の柱は三分の二の高さの部分が最も太くなっている西洋の美の極致であるパルテノンの柱同様の「エンタシス」とし、ギリシア文明の影響が見られ、そのプロポーションは完美で、西洋の建築とは別の美があると結論付ける。しかし、西洋建築のプロポーションの美が幾何学に基づいていたのに対し,日本建築はそれとは違い、その原理を発見するまでには至らなかったので、努力の割にはたいした成果が上げられず、本人としても満足行くものでなかったにちがいない。
Date: 2006/08/18(金) No.40


日本最初の世界文化遺産 法隆寺
日本最初の世界文化遺産は法隆寺であることを今回の旅で知った。
法隆寺は世界最古の木造建築で伊東忠太の博士論文のテーマである。今回の訪問は3度目であるが、私の修士論文で伊東忠太をテーマにしてからは初めてである。写真と図面と説明文で分かったつもりいたが、やはり実際行って見て自分の目で見てみると新しい発見がある。特に歴史的建築は、その場所によるものが多く、建てられてから長い間そこに存在し続けているものなので、火事で消失してその後再建されたり、増改築されたりと現在のものはオリジナルの姿からかなり変わってしまったものが多い。法隆寺も例外ではなく、再建説もあるし、過去何度も大修繕をしているのは歴史的事実である。私たちが現在見ている、金堂、五重塔、中門の最も古い部分で聖徳太子の時代からのものと思っていたら、実は江戸元禄時代に大修繕されたものらしい。
Date: 2006/07/31(月) No.39


日本美再発見の旅 世界文化遺産 厳島神社
今回の日本美再発見の旅で一番期待していたのが海に浮かぶ厳島神社である。天橋立、松島と日本三景として昔から風光明媚な場所として観光の名所であった。今回の旅行でようやく念願であった三景全てを見ることが出来た。現在のところ厳島神社だけが世界文化遺産として登録されている。
毎日の潮の満ち干きで海に浮かぶ神社と浜に建つ神社の両方を見れるのである。その両方の姿を見る為に、潮の干満の時刻を確かめ、広島プリンスホテルからの高速船で一日がかりで行くことにした。
船を下りると海に建つ朱塗りの大鳥居が見える。丸柱でなく、切り出したままの自然の大木だったので驚いた。この島に自生している根元周りが6辰△襪隼廚錣譴詁錣梁臾擇2本、本殿から西へ丁度160辰琉銘屬坊,知てたらしい。本殿は、入り江の中心に位置し、入り江の形に合わせ鳳凰が羽を広げたような両翼の社殿が配置されている。800年もの長い歳月、海辺という過酷な条件のもとに建ち続けている。昨年の台風では大きな被害に遭い、修復作業中であった。
社殿には斜めの渡り廊下、橋掛かりで繋がれた能舞台もあり、中秋の名月の月見の宴には、その朱塗りと白の社殿内の海面に映し出された満月に、京の雅の文化と幽玄の世界を堪能したのだろうか。
Date: 2006/07/30(日) No.38


村野藤吾の広島平和記念聖堂
丹下健三の平和記念公園の建設と同時期に、村野藤吾が広島平和記念聖堂をデザインしている。戦後の建築デザイン界は、東の丹下、西の村野と言われているが、広島から始まったのである。
平和記念公園は、屋外にある宗教色の少ない世界平和を願う人々の祈りの場に対し、記念聖堂は原爆に遭遇した神父が、恒久平和の願い世界中から寄付を集め建設したカトリック教会である。ガウディはゴシック様式を発展させた彼独自の建築デザインでサクラダ ファミリアを設計しているが、建設は中世の石積みの建設方法を取った。現在では、構造は鉄筋コンクリートで、完成に向け急ピッチで建設が進められている。それに対し、村野は鉄筋コンクリート造打ち放しの柱と梁のラーメン構造をあらわにし、レンガ壁で覆っていて、ガウディとは異なるモダンで合理的なカトリック教会の建築形態を提示している。しかし、プロポーションは、ガウディ同様、天に向かって伸びているような縦長のゴシック様式によるものであり、屋根勾配の少ないスペインゴシック教会に近い。そういえば、ステンドグラス窓の開き方もガウディの地下聖堂を思わせる。ガウディを意識し、新しい時代のカトリック教会の建築デザインを生み出そうと、神と一体化したと思わせる村野の建築である。
教会内に入ると、スペインゴシック前期の重厚な祈りの場に近い、神聖なすばらしい空間であった。
Date: 2006/07/28(金) No.37


イサム・ノグチのIkiru生きる Tsukuru創る
昭和27年(1952)1月30日に広島の新聞に”平和と建設”を表徴、「初の高欄設計にイサム・野口氏の熱情」という記事が掲載されている。
広島平和公園では、橋の欄干までも偉大な彫刻家イサム・ノグチのデザインによるものだということはあまり知られていないであろう。実は私も行って見るまで気が付かなかった。
コンクリート打ち放しでありながら、そのプロポーションと建築構造との合理性で高床式の日本建築の伝統美を感じさせる平和記念資料館に感動を覚え、川岸の方へ歩いていると、不思議なデザインの橋が目に入った。まるで大蛇が鎌首をもたげている様だ。どこかで見覚えのあったものだ。そうだ!イサム・ノグチの平和大橋だ!改めて彼の作品集を見てみると、当初は創るというテーマだったらしい。この躍動感溢れるフォルムに納得する。東の平和大橋は「ikiru」で西の平和大橋は「shinu」と対に創られている事がわかった。そういえば、ガウディのサグラダ・ファミリア寺院も東の門は、「ご生誕の門」で、西の門は「ご死去の門」である。丹下健三は、この中州の平和公園を教会に見立て、聖なる場としてデザインしたのであろう。
Date: 2006/07/27(木) No.36


広島平和記念公園 Hiroshima, mon amour
白御影石で刳り貫いて創った馬の鞍型の祈祷所のモニュメント。その奥には原爆ドームが望め、このモニュメントの原爆ドームを起点し平和記念資料館の南北軸上の丁度真ん中あたりに位置することがわかる。この事から建築家丹下健三は、この場所を平和公園の重要な心臓部と捉え、広島の心の中心、世界平和の神聖な場にしようとしていたことが窺い知れる。
Date: 2006/07/26(水) No.35


世界遺産登録から10年を迎える原爆ドーム
No.32原爆投下直後の写真。
これから60年広島の街は見事に復興した。
戦後、丹下健三により市民の平和の祈りの都市計画がなされた。原爆ドームを原点とした南北の軸線。それと直交するコンクリートの柱で支えられたピロティの広島平和記念資料館。その丁度中間のあたりに鞍の形の祈とう所が、頭、心臓、体、両手のようによく考えて配置されている。この一体の空間が戦争、ファシズムに反対する市民の祈りの場として建築家丹下健三は計画し、緊張感を持って造形したことがヒシヒシと伝わってくる。
その空間に、経済性本位で計画されている44辰旅眩悒泪鵐轡腑鵑建設中である。当日の新聞にも写真入で市の高さ規制のコントロールの甘さを批判した記事が掲載されていた。
原爆ドームは丹下健三の計画した広島平和公園と一体として平和記念モニュメントとして世界遺産として認定されたのを市はもっと認識する必要があるのではないか。そして「負の文化遺産」原爆ドームを「正の文化遺産」世界平和祈りの場「広島平和記念公園」へと再生させ、今でも祈りの火を絶やさないでいるという市民としての誇りを持つべきでないかと思う。自衛権の名のもとに核弾頭ミサイル配備が当たり前になり、戦争が拡大しつつある現在、世界に一つしかないこの広島平和公園の「正の世界文化遺産」としての重要性が増してくるはずである。
Date: 2006/07/26(水) No.34


日本美再発見の旅
日本を離れて外国に住んでいると日本の文化を再認識させられる。
ラサール大学の建築イベント「2千年の日本建築の歴史」の企画展示を担当し、益々その思いが強くなった。今回の一時帰国では、まだ見ていない日本の建築文化遺産を巡る為に、余裕を持った日程とした。「日本美再発見」の旅が今回の一時帰国の目的でもあったからである。
特に戦後の近代日本建築を決定付けたと言っても過言ではないだろうと思う、丹下健三の広島ピースセンターと村野藤吾の平和記念聖堂をどうしても見て確認したかったのである。丁度4月の私のラサール大学での講演中に戦後の建造物として初めてこの二つが国の重要文化財の指定を受けたというニュースが入ってきた。
広島でまず最初に向かった先はやはり原爆ドームである。大江健三郎の「ヒロシマノート」原爆の映像、吉永小百合の朗読、バルセロナでの広島原爆展覧会等たくさんのメディアを通じ、原爆の悲惨さが分かったつもりになっていた。しかし、実際原爆ドームの前に立ち、60年前にこの建物の真上で人類史上初めて原爆が爆裂したことを容易にイメージすることが出来、人類が「原爆投下」をこの広島の街の中心部に実行してしまったことの重大さと恐ろしさに身震いした。この原爆ドームは正しく「人類最大の負の文化遺産である」事を実感した。
Date: 2006/07/25(火) No.33


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