*--バルセロナ建築漫遊記--*

バルセロナからの気ままな発信です。


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サスティナブル(持続可能)な建築  2006/09/09(土)
メタボリック症候群とメタボリズム建築  2006/09/08(金)
3兄弟セルフビルトプロジェクト  2006/09/06(水)
ピレネーの修道院 Santa Maria de Gerri  2006/08/31(木)
バカンスの終わり  2006/08/30(水)
慈光院の再発見者 堀口捨巳  2006/08/28(月)
借景の美 慈光院の庭  2006/08/27(日)
国宝 慈光院 茶人 片桐石州の美空間  2006/08/19(土)


サスティナブル(持続可能)な建築
最近は日本の政治家の演説でも「サスティナブル(持続可能)な」を良く聞かれるようになった。
建築の世界では、エコロジーの高まりと共に、15年程前から自然の持っているエネルギーを利用し、またそれをコントロールし如何に負荷を少なくするかが重要なテーマとなってきた。そしてエコテック建築として、デザインに取り入れていこうという建築ムーブメントになっている。伊東豊雄の「仙台メディァテーク」も、バルセロナに昨年完成したジャン・ヌーベルのAGBARタワーもこのコンセプトによりデザインされている。ファサードのダブルスキン化のよって、太陽光線と熱の利用とコントロールを考えたそれぞれ独特な建築デザインを創り出した。
Date: 2006/09/09(土) No.48


メタボリック症候群とメタボリズム建築
昨年秋、一時帰国した折に、地元の薬局で肥満度チェックをしてもらったところ,内臓脂肪が多く、メタボリックシンドロームと診断された。メタボリック?何、それ?代謝症候群って?と思わず聞き返したのを憶えている。「最近、日本で流行っているんですよ。この言葉。体の悪の根源なんです。特に中年に多いんです。」と教えてくれた。近頃の日本は、魔女狩りのごとく、メタボリックシンドローム撃退!という感じで、「メタボリック」という言葉にマイナスイメージで過敏に反応しているようだ。
東京オリンピックがあった60年代、日本は高度成長期で科学技術も目覚しく発展し、丹下健三の代々木のオリンピックプールによって建築デザイン界は世界的に認められるようになった。そしてポスト丹下の菊竹、黒川、槇たち当時の次世代を担う建築家と建築評論家の川添によって、メタボリズム建築運動が、力強く世界に向け発信された。特に、黒川はカプセル建築論で、建築を成長可能でフレキシブルなものとして捉え、新技術によって生物のように代謝可能なメタボリズム建築を提唱した。中銀カプセルタワーはそれを具現化した作品として代表作である。その建築学的名作が、現在35年経ち老朽化し、作者の最初の意図に反して、メタボリックされないで解体の危機にあるという。この解体の危機を乗り越え、バージョンアップされてこそ、メタボリズム建築の進化が確認され、世界的な真価が出て来るはずである。
是非とも、日本の文化力でSUPER 中銀カプセルタワーに進化できることを期待する!
Date: 2006/09/08(金) No.47


3兄弟セルフビルトプロジェクト
バカンスも終わり、ようやく仕事が動き出した。昨夕は、新しいプロジェクトの実施設計の確認申請の許可が下りて、100キロ離れた施主の家までそのプロジェクトの説明に行ってきたところである。このホームページでも紹介しているタラゴナの古民家の再生現場を見た農業を営む3兄弟が、ベジェスの紹介を受け、自分たちの手で家を造りたいと依頼してきたものである。今回のプロジェクトも施主の直営工事のセルフビルドで、私がアーキテクトビルダーで進めることになった。最初にプレゼしたデザインを気に入ってくれたが、建設の容易な大型のレンガブロック(305x287x190)を使ってセルフビルドとなると,かなり合理性を欠いたものとなるので、なるべくシンプルな収まりを考えて纏めて行った。その結果、たどり着いた形が写真の模型のようになった。昨夕は、この模型を囲み、お父さんお母さんも加わり、どのように進めて行くかを、図面を見ながら、こうしよう、ああしようとワイワイと楽しく話し合った。
来週から建設が始まるが、理想の家を目指し、3兄弟はもう待ち切れないといった感じで、やる気満々。期待を背負い、これから楽しみである。
Date: 2006/09/06(水) No.46


ピレネーの修道院 Santa Maria de Gerri
この地方のピレネーの山のロマネスク教会群は、十字軍の時代11世紀から12世紀にかけてイベリア半島のアラブ勢力を一掃する為のカトリック勢力のレコンキスタ運動がフランス側から起こり始めた時に造られた。ボイ、タウイのものが有名で、ユネスコの世界文化遺産に登録されている。
今回、今まで行ったことがなかったGerriの教会を訪ねた。数年前まで川沿いに塩田らしきものがあったが今は無くなっていた。両端が石積みで、レンガ積み巨大アーチの橋を渡ったところに階段状にせり上がったそのファサードが特徴のサンタ・マリア教会があった。よくカタルーニャでは見られる教会のファサードであるが、全体とのバランスの悪く、なにか違和感がある。11〜12世紀に造られたベネディクト派のロマネスク修道院で、身廊と2つの側廊からなり、太い柱で支えられたトンネルボールトの重厚な空間である。(前日の写真参照)そのロマネスクの建物をそのまま残し、18世紀スペインバロック期に大規模な改築が行われ、祭壇裏の外側の部分に新たな礼拝堂を増築し、調和と統一の欠けた纏まりのないものとなった。たぶん現在の階段状のファサ−ドもその時のものと思われる。ロマネスク期のオリジナルまた壁画もロマネスクのものから現在のバロック絵画にしたらしい。その後1835年の修道院廃止令で、教会財産の解放が行われ、クロイスター(回廊)部分は破壊され、かろうじて今の教会の部分だけが残ったと思われる。そしてこの村の人たちが、その廃墟から、石を運び出して自分たちの家を建て現在の村を形成した。教会に変わり、村民たちが塩生産で、この山奥の生活を支えたらしい。
スペインにもカトリック教会受難の時期があり、日本の明治期始めの廃仏毀釈同様、たくさんの文化遺産がなくなったのである。文化遺産というものは、政治、社会状況で簡単に失われてしまい、現在残っているものはその極一部分に過ぎないことを実感した。
なぜ、こんな山奥に塩田があるのかなと前から気になっていたのであるが、塩分を多く含む泉を塩田に引き、塩を精製していたらしい。しかし、川沿いの塩田は6年前になくなってしまって、今は作られていないという。ヨードを多く含む美味しい塩で、パリのコンクールでは金賞を受賞したという教会の受付のおばちゃんの説明を受け、勧められ、民芸風の小箱に入った天然塩を10ユーロで買った。
Date: 2006/08/31(木) No.45


バカンスの終わり
先週末ピレネーの山から降りて来て、今年の夏のバカンスが終わった。この17年、3千m級の山の谷合にあるホテル毎年行っている。1936年創業で今年で70年を迎えた。オーナーは3代目で、子供を通じて家族ぐるみの付き合いがあり、彼の50歳の誕生日をこの夏盛大に一緒に祝った。この山岳的風景の大自然の中のきれいな川の流れ、空気、牧場の緑そして美味しい料理と温かく迎えてくれる村の人々・・・全てが、心地よくスペインの夏を涼しくゆったりと過すことが出来る。
しかし、今年のヨーロッパは猛暑だったせいか子供づれのファミリーはもちろんのことイギリス、ドイツからの観光客がこのスペインの山奥まで来るほどの盛況振りである。この大自然までもグローバル化の消費の対象になっているのを実感する。そのうち,このグローバル化の波が,地球全てを食い尽くしてしまうのではないかと不安を覚える今日この頃である。
Date: 2006/08/30(水) No.44


慈光院の再発見者 堀口捨巳
実は、慈光院が国宝に指定されていたとは行くまで知らなかった。またこの奈良の全く無名の禅寺を、再発見し文化財にまでなったのは、堀口捨巳の戦時中の調査,研究によるところが大きいというのも今回の旅で初めて知ることが出来た。伊東忠太がすぐ近くの法隆寺、堀口が慈光院を博士論文に選ぶというのも歴史のめぐり合わせのように思われる。この両者に共通する所は、歴史家の目ではなく常に建築家=建築を創る人、の目で過去を見据えたことである。現代建築をデザインする為のスタディとして、茶室建築を調査、研究している。このようにして伊東から堀口へと近代日本の建築家の王道は引き継がれたのである。
Date: 2006/08/28(月) No.43


借景の美 慈光院の庭
東南に位置する書院に進むと、縁側の向こうに丸く低く刈り込まれたツツジの庭の向こうに奈良盆地の霞んだ遠景が望まれた。庭は、石組み、灯篭はなく、白砂にツツジの花の時期が終わり緑の植栽だけのシンプルなものである。この梅雨の時期、あおに良しの緑がとにかく美しい。年に二度ほど植木屋さんが刈り込むとのことであるが、丁度その最中で一番美しい状態の庭を見れ、運が良かった。縁側の黒光りした板の廊下と長い庇に押さえられた書院奥からの眺めは、隅の柱を除き遮る物がなく、白砂、低く丸く刈り込まれた植栽の向こうの奈良盆地まで繋がっていく美しい風景を、計算し計画された借景の庭で有名である。この日は生憎、遠景は霞み、近くのゴルフ練習場の高いネットだけが目立って、決して美しい借景とはいえないものであったが、このお寺のホームページによると近年の宅地開発により、以前のような美しい借景は失われてしまったとあった。となると、刈り込みをもう少し高くし、中景の宅地開発部分を隠し、遠景の山並だけを見せる借景しか手立てはないのだろうか?まったく残念なことである。三笠山から上る中秋の名月を愛でるには、風情のある素晴らしい空間であったと思われる。多分、石州もそれを考え、この慈光院を創ったのだろう。
Date: 2006/08/27(日) No.42


国宝 慈光院 茶人 片桐石州の美空間
法隆寺、法輪寺,法起寺と斑鳩の国宝めぐりを堪能した後、大和郡山の慈光院を訪ねた。座敷からのつつじの丸く刈り込まれた向こうに広がる奈良盆地の借景が素晴らしいことで有名である。キャベツ畑に白漆喰が剥がれ落ち、土壁があらわになっている石垣のところに国宝 慈光院とある。丁度梅雨の中休みで青々とした緑が美しかった。その両側が生垣の細い石畳の路地を上がって行くと茅葺の大和民家風の建物が見えてきた。すると二つの石畳が交差し、低くせり出すように刈り込まれた松が出迎えてくれた。この空間は、人を迎え入れる為に、意識的に美をデザインしている!ことに感動を覚え、ワクワクした。次は、どのようなすばらしい美空間で私をもてなしてくれるのだろうかと茶人片桐石州の美空間への期待が高まった。
Date: 2006/08/19(土) No.41


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